レイコとシンジ-豚の戦記-前編- 1
始まりは、ふとした会話だった。玲子のクラスにも慎治たち以外の男子はいる。玲子は別段、慎治以外の男子に攻撃的なわけではなかった。むしろ、明るく陽気な玲子は大部分の男子に好かれ、良好な関係を保っていた。玲子と隣の席に座っている、沖一也もその一人だった。ある日、玲子がいつものように朝子や里美と一緒にひとしきり慎治を苛め、泣かせてから席に戻ってきた時、一也は玲子にふと、こう漏らした。「玲子ってさあ、考えてみたら、なんだかんだ言って川内たちと遊んでる時が一番長いんじゃない?川内とか矢作レベルから見たらさ、痛いのだけ抜きにしたらさ、考え様によっちゃ玲子たちと遊んでもらえるなんて光栄の至り、玲子たちに構ってもらえるなんてサービスしてもらってるようなものじゃん?内心喜んでいたりしてね?」「何、馬鹿言ってんのよ?あ、もしかして沖も私や礼子に苛めてもらいたいの?ま、沖なら苛めてあげてもいいけどね?とりあえず何から始める?鞭?ビンタ?それとも唾がお好み?はい、じゃ、顔出して、うーん!」唇を突き出しておどける玲子にしっかり反応し、沖は大袈裟にのけぞってみせた。「おいおい、やめてくれよ。矢作たちじゃあるまいし、俺が玲子たちのいじめに耐えられるわけないじゃん?」
しょうもない、殆ど何の意味も無い会話だったが、玲子には何か引っかかるものがあった。サービスねえ・・・確かに言われてみれば、連中と遊んでやってるようなもんかもね・・・今はまだ、慎治たちも本気で嫌がってるから楽しいけど、連中が苛めて君になっちゃったりしたら、確かに私や礼子がサービスしてやってるようなものよね。もっと、慎治たちが本気で嫌がるようなシチュエーションって、無いかしら・・・朝子とか里美とかに苛めさせたって、あの二人だって結構いけてる方だし、富美代や和枝も倍率高い方だしなあ・・ふと、玲子の脳裏に浮かぶ名前があった。ココタマ・・・あの二人に苛めさせたらどうかしら。あの二人に苛められたら、慎治たちも死ぬほど嫌がるんじゃないの?その晩、玲子たち二人は早速、新しい苛めプランを練り始めた。「ねえ礼子、今日、沖に言われたんだけどさ。」玲子は簡単に説明しながら続けた。「でね、沖もバカ言うなーって思ったんだけどさ、考えてみたら、私たちが慎治なんかを苛めてやってるなんて、本当は泣きの涙で感謝されたっていいくらいだって思わない?」「うーん、玲子の言うことも分かるけど、とりあえず連中を苛めてりゃ私も楽しいからね・・・別にいいと言えばいいんだけど・・・玲子、何か考えてるんでしょ?教えてよ?」「うん・・要はさ、慎治たちが死んでもこいつらだけには馬鹿にされたくない、て言う子たちに苛めさせて楽しんでみない?私たちはちょっと、見物役に徹してさ。」「慎治たちが死んでも苛められたくないっていう子?誰それ?・・・あ、もしかしてそれって、あの二人?ココタマのこと?」
ココタマ、田中心美(ここみ)と田中魂美(たまみ)、玲子たちのクラス唯一の双子、それも一卵性双生児だった。心美と魂美、この二人ほど美しい名前と実体が伴わない女の子も珍しかった。身長150センチそこそこと小柄なのはまだ良しとしても、体重は60キロを超す相当のデブだった。これだけ太っていては運動神経もへったくれもない。ただ歩くだけでも、がに股でどすどすと不恰好にしか歩けなかった。足は短く、しかも重い体重を支えるために丸太のように太かった。太い、と言えば指も太くて短かった。デブの女の子の唯一の特権は巨乳、ということが多いが、この二人は巨乳、というのにもほど遠かった。確かに胸は大きい。但し、単なるデブの鳩胸も巨乳の内、と認めるならばの話だが。ずんぐりむっくり、と言うよりダルマ、起き上がりこぼしのような体型だった。加えて目は細く、ブタ鼻で唇は分厚く、やや出っ歯、かつ酷いアトピーで顔中真っ赤、しかもニキビだらけだった。ブス、醜女、化け物、人間もどき、人間三割化物七割のミックス、略して人三化七(にんさんばけしち)・・・幼い頃からありとあらゆる悪口や罵声を浴びつづけた心美と魂美の精神は完全に歪んでいた。
勉強ができれば、まだ多少の救いはあったかも知れない。事実、二人とも小学校の頃から勉強だけは必死でやっていた。唯一救いを求めるようにただ、努力に勝る天才なし、という空虚なお題目を信じて。だが、その願いも空しかった。両親共に中卒の集団就職組、勉強とか頭の良さが自慢、という人は親戚一同探しても一人もいない、という状況ではもともと二人とも遺伝的に頭のできに巨大なハンディキャップを負わされていた。努力はいつか報われる、と言っても、それはもともと、ある程度の才能がある人間の場合だ。心美と魂美がいくら死ぬ気で勉強しても、クラスの平均点を取るのがやっとだった。そして学年が進む毎に、小学校から中学校、そして高校へと進む毎に二人の成績は確実に低下していった。今では二人の成績はクラスの下位四分の一まで落ちていた。二人より下位の成績の子は早い話、勉強が嫌いな子だけだった。二人にとっての最大の不幸の一つは聖華に進学してしまったことだった。余りに不細工、と言っても、ブスな女の子など、世の中いくらでもいる。成績の悪い子もいくらでもいる。そういう子たちの一部はヤンキー化するかもしれない。だが、腕力、気の強さもなく、ただただ地味に一生を送る女の子も少なからずいる。そういった子たちの安住の地はやや程度のいい商業高校だっただろう。頭、ルックス、成績、腕力・・・何一つ持っていない子たち同士で肩寄せ合い、どこか小さな会社に就職して静かに社会の片隅で生きていく、善し悪し、楽しい人生かどうかは別としてそういった生き方も確かにある。だが、心美と魂美の両親は余りに小市民的な誤算を犯していた。ルックス、才能、何一つ与えてやれなかった自分たちに対するコンプレックスからか、せめて二人を古くからの名門校、というブランドで飾り立ててやろうとした。せめても、という両親の優しさは二人にとっては完全に裏目だった。
